“Archangel”
Untrue/Burial
(2007)
Album
現在、この素晴らしき未来
インターネットが普及し、あらゆる情報が等しく共有され得る現在において、もはや見知らぬアナタの世界と僕個人の世界には本質的に何の違いもない。全てのものが全員のもとに既にあり、まるでライトのスイッチをON/OFFするように簡単に、アナタの選択ひとつで在ることにも、無いことにもできる。“未来は僕らの手の中”、僕らはその未来を生きている。だが、ここに未来という言葉がかつて持っていた幸福な響きはない。強迫観念から生まれ続ける不安。選択しなかった自分へのプレッシャーと満たされない衝動。欲しいものを手にした後の虚無感。やがて陥る孤独の暗闇。そんなとき突然滑り落ちたアイツ。自分がそうならない保証は無いことに怯えつつも、つかの間の安堵感にひきつり笑い・・・。このアルバムはそんな自己嫌悪の時代を生きる我々の心のありようを淡々と描写する。闇に溶けた影のようにあくまでひっそりと、しなやかに優しく、時に残酷に。心臓の拍動、もしくはシナプスが発する信号をトレースしたかのような病理学的サウンドを持つ、ゼロ年代の“Mezzanine”。ダブ・ステップが産んだ記念碑的作品。真夜中に目を閉じてひとりで聴く。そうすると闇のなかに立ちのぼるさまざまな風景。色合い、流れている時間/空気、音の向き、排気ガスの匂い。まるでビル街のコンクリートに響く靴音のようなビート。不穏なざわめきが聴こえる。起きている間中、常に緊張しつづける四肢をリアルに感じる。聴けば聴くほどに強まる催眠性の痺れにじわりふき出す汗。チリチリと脳波を乱す音像。記憶はスライドショーのように点滅しながら驚くほどクリア。同時に襲うのは奇妙な安らぎ・・・。まるで出来損ないのSF映画のような現状を生きる都市生活者にとって、また一つ心の奥底によりそう傑作が誕生した。この闇に触れるたび感覚は埋葬(burial)され、更新されていく。とにかく聴いた。“深淵をのぞきこむとき、 その深淵もこちらを見つめているのだ(ニーチェ)”-----再び目を開けたとき、アナタは何をみるだろうか?(2009年9月)

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