蜂蜜 蜂蜜/杉本拓朗
(2007)
Single
10年に一度の才能、再び もう部屋で1億回以上聴いている。今年5月にインディーズから1000枚限定でリリースされたデビューシングルである(らしい)この楽曲がとにかくもうとんでもねぇ。21世紀の"There she goes"。涙腺直撃。個人的には07年ベストソング文句なし。まだ幼さを残しながらも、天までも届きそうに伸びるハイトーン・ヴォイスと、曲名そのままスピッツを連想させる自由奔放かつ繊細な美しいメロディ。特にこのサビ!あー、聴いてグッとこない人間なんかもう信じねぇよ。これは、アーティストの意図を超える意味を持ち得る曲だ。大きなことを歌う人たちもいる。端的に言えばそれは"僕"と"世界"の話。だけど、本当に大切なものを守る、こころの中の平穏を守ること、たとえば"君"と"僕"との話。それを歌い続ける人たちもいる。どちらがいい・悪いじゃない。ただそれらを、"僕"、"世界"、"君"を、互いに無視させ合ってなんの関連も見出せず才能の限界を自己満にすり替えて鳴らされる音楽や鳴らすアーティストに僕は興味がない。だってこうして優れた才能は現れ、そんなの一瞬でしなやかにアップデートするのだから。"夏の恋に油注いで火を点けて 火照る肌に何度もくちづけたんだ"。"想い"が"世界"を背負い込む直前、直接的な「目の前のあなた」との出会いの喜び。真夏の恋の罠?既に取り返しのつかない過去?でも抑えきれない熱情。蒸し暑い夜のセックス。笑顔。後悔。そんな、誰でも一度は経験ある普遍的な恋愛、それだけについて歌われたこの"蜂蜜"。しかしそんなこの歌がそこから飛び出した説得力を持ちえているのはひょっとしたらいま僕の、そして、他ならぬ「過剰に誠実で敏感すぎるが為に苦しんでばかりの僕ら」がやっと感じはじめているほんとうのことの感覚を彼自身が持っているからに違いない。本当に一番に大切にしなくちゃいけないのは、テロでも内閣改造でもセレブでも笑っていいともでも朝青龍でもmixiでも偽装でもエリカ様でも消費税でも大食いでもなく純粋なる”目の前のきみ”とのふれあいだということ。一度は世界の側から眺め、その無力さを喰らった人間でないとこの感覚は絶対にわからない。さらに言ってしまうと、たとえ"喰らって"いたところで才能が足りなければ無理だ。残念ながら、そんじょそこらのオナニーアーティストとはそもそもの"発熱量"が違う。聴いてるうちそれが本気で信じれちゃいそうなぐらいの熱量がここにはあるからだ。つまりこれは、めちゃくちゃにされた僕等のダイジナモノの優先順位を取り戻すために、鳴らされざるを得なかった歌だ。大げさすぎる?いろいろ読んでみて結構人の発言ともシンクロしてて相当ヤなんだけど「気付き」っていつもこうして同時多発的に起こるものなんじゃなかろうか。ダイジナモノの優先順位を、今一度僕ら自身の手で、頭で、感覚で感じ、並べ替えるとき。危機感に基づく必然、誰も気付きながら騙され続け、なあなあにさせられてきたあらゆること。単純なラブソングのはずのこの曲が、そこまでの視野を含んでかき鳴らされるという奇跡。アーティスト自身の思惑からも離れ…。かつて幾度もあった、まさしくこれもそういう種の曲だ。そうやって知らず世界と繋がっていくこと、それがどれだけ健全で感動的なことか。"夢中になって絡まり合った蜂蜜が 濡れた粘膜に沁みる" 胸を締め付けるようなファルセットで何度も彼がこう歌うとき、それは君になにを伝えるか。ストーリー上の"大好きなきみ"では当然ない、ただオーディオの前の僕や君に、彼は問う。こんなにも目の前のきみのことが大切で愛しくてたまらない、それなのに降り止まぬどうでもいい全てに対処することで精一杯と、他ならぬ自らの手でないがしろにし、傷つけ続ける僕等。あなたが今日々捕らわれているその"一番大事なこと"とやらは、いまこの歌が鳴らされてしまってなお、大事なのか、と。杉本拓朗ばんど 名義でアルバムも出るらしい。もちろんこれも収録されています。(アルバムバージョンはいまいちなので、ぜひシングルで購入を!)"10年に一人の才能" 再び。(そういや中村一義"金字塔"から10年!これは偶然の一致か?)(2007年12月)  *2009年一部加筆




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