“国頭ジントウヨー”風狂歌人 the best of /嘉手苅林昌 (2000) Albumリアル・オキナワン・ブルース“沖縄島唄の神様”、嘉手苅林昌(かでかる りんしょう、1920年〜1999年)。在りし日のカート・コバーンが、1920年代の伝説のブルースマンLead Belly(正確にはプリ・ブルース期の人物だが)にひどく憧れ、レコードというレコードを買い漁っては彼のポスターで埋め尽くされた部屋で一晩中曲をギターで練習していた…というのはその筋では有名な話。なんだかよくわからない。僕にとって恐らく嘉手苅林昌、いやオトー(あえて馴れ馴れしく呼ばせてもらいます)は既にそういった存在に近いかもしれない。それくらい有無を言わせない魅力が僕にとっては、ある…ということを言いたかった。ポスターは貼ってないし、三線も持ってないけれど泡盛と沖縄の海と何よりオトーの唄が大好きだ。このほかにもライブ収録のだとか色々聴いたけど(島唄の唄い手として遺した録音作品数はぶっちぎりでナンバーワンなのだそうだ)、ライブ(?)のMC(?)での言葉は我々県外の人間には全く聞きとれない。訛りどころの話じゃない。外国語。でもその響きさえ不思議と美しいことに感動する。存在そのものが「うた」な彼は、発する言葉すら既に「うた」なのか!うん、もうひとり俺が尊敬する歌い手七尾旅人 の言ってることがちょっと、わかった。これを聴いて更に思うのは、今でこそ「日本」という国に当てはめられてこそいるが、沖縄という場所がいかに独自であり、また圧倒的に非・日本なのか。それらは全て「こちら側」から見て、の話だったのだ。沖縄に行ったことのない僕にすら(※その後訪問)、たった一枚のCDを通してこれだけ伝わる、完全なる異物感。「向こう側」で起こっていることについていかに我々が無知か。いや、いつだってそうなのか。うーん…うまく言いあらわせないか。沖縄の音楽を聴くときにリラックスできないのはもちろんもったいないのだけど、距離感であったり、歴史であったりというものに目をつぶれてしまうこともまた、愚かだと常々思う。だがここで聴こえるのはそんな全てを包み込むオトーのうた。何にも頼らず背筋を伸ばして凛と立つ気高さ。あの島の歴史について語るにはあまりに僕は無知だけど、ただきっとそういった全てを経てこそのこの音楽なのだろうと思いを馳せることくらいは許してもらいたい。僕が感じられるのはこのあまりにも素晴らしい音楽だけ。風の音。何ものにも汚し得ない孤高の。いろいろなサイトでも書かれてたりするように、このアルバムならやはりM2「海ぬチンボーラー〜赤山」が白眉かな。魂そのものを歌いこなす稀代のうたいびとに、うたの神様がおりる瞬間が録音されている。激烈なる絶唱。このアルバムをはじめオトーの音楽、僕は多分死ぬまで聴き続けるだろう。泡盛を飲みながら。レッドベリー、ニック・ドレイクやオーティス・レディング、ディランなどとも比肩する、真のソウル・ミュージック。ちょっとだけうちのじいちゃんに似てた。(2006年7月)
*2009年一部加筆