“空い赤” 世界のフラワーロード 世界のフラワーロード/100s
(2009)
Album
故郷という名の聖地巡礼 故郷を思うと人はなぜメランコリックな気持ちになるんだろう。中村一義が育った東京・小岩の商店街「フラワーロード」をタイトルに冠し、生まれ育った街の「原風景」をテーマに製作された3rd。元来それほど多彩なコードを楽曲に盛り込むタイプのソングライターではない中村一義だが、シンプルな中にもこれまでどおりビートルズやELOを参照しながらじっくり練られたであろう佳曲が並ぶナイスなアルバムに仕上がった。ピアノ主体の楽曲が増え、セカンドアルバム「ALL!!!!!!」に満ち満ちていた「覇気」や「気合い」からはやや距離を置いたものの、人肌感にあふれた曲の数々は耳や体にスッと馴染んでくる。これで聴き込んでってもスルメなら、イイね。ストロベリー・フィールズよろしく下降進行コードのクリシェが多用され、特に池ちゃんのペンによるファンク・ソング、M9「ミス・ピーチ!」以降を聴くたび、遠くに残してきたもの、親しい人たちの笑顔、故郷を照らす真っ赤な夕焼け…そんな「いまここにはないが、自分の大きな部分を占める多くのもの」の数々が断片的にフラッシュバックするような、胸に迫る切なさに感極まる。表題曲であるM12「フラワーロード」、かつて新世界と名付けられたコード進行そのままに乗せ、彼はこう歌う。“いろんな物語が生まれ、死んだ、この街で/産まれ飛べるようになった君への歌、唄う”。そうさ、キラキラひかるもの、それはいつだってこの心に溢れていたはずじゃないか。まるで自らに言いきかせるかのように一語一語、力強く。思えば、「原風景」と改めてコンセプトに据えるまでもなく、中村一義はいつだってそれを無視してはこなかった。魔法を、笑顔を、世紀を歌いながら、一歩一歩進んできた道のりについて彼の音楽はいつも雄弁に語っていた。「フラワーロード」、それは彼の始発駅であり到着駅。いつもの居場所であり、同時に「部屋のドアに続く長く果てない道」に与えられた新たなメタファーでもあるのだ。状況が裂いた部屋から荒川の土手、そして未来へと扉を開け続けてきた重タール漬けガイが、ふと振り返って深呼吸/ハイライトで一服する場所。このアルバムではその風景が全編に渡って、まるで絵をおこすような繊細な筆致で書き留められている。“愛したっていいから/子供の頃の君と今日を、行こう。あのまごころに途絶えていた向こうを、行こう(M13「まごころに」)”、“この通りを渡る。(M14「最後の信号」)”と、「ここから向こう側へ」進んで行くことの決意が繰り返し歌われるアルバム終盤。どこか神々しくさえある重厚な曲調に合わせ、呼吸が研ぎ澄まされていく。「原点に立ち戻る」こと、それがいつも幾許かの安らぎと引き換えに失ったものの大きさを確認する痛みを伴う作業でもあるように、ここでの彼は久々に安らかな孤独に包まれている。だがここから見える風景は、決して感傷的なものだけじゃない。ここまでの道のりの末、かすかに残る胸の痛みを受け止め乗りこえる強さを得た彼はいま、優しくほほえんでいる。果たして最終曲「空い赤」最後に放たれる言葉は、こうだ。“乗り越えて行くならば。” ここには過去との決別でも、痛みへの勝利宣言でもなく、全てを抱えたままただ一歩ずつ進み続ける中村一義がいる。そのことを他ならぬ彼自身が確認するための聖地巡礼の記録、それがこの作品のレゾンデートルなのかもしれない。さあ、次だ。(2009年6月)




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