“Junk Bond Trader”Figure 8/Elliott Smith (2000) AlbumCan't Make A Sound.孤高の天才詩人エリオット・スミスの、最高傑作にして最終作(…)。ビートルズでいうジョージ・ハリソン(本人もフェイバリットだったらしい)を感じるアーティストだった。一見シンプルなバンド・サウンドに聴こえるが、実はひねくれ邦題に転調しまくるコード。か細く、しかしどこか気高く美しい声。ハーモニー。1曲目「Son of sam」から最終曲「bye」(…)までを聴くたび思うのは何かがどんどんぼろぼろと音もなく崩れていくイメージだけ。少しずつ外側が剥がれ落ち、内側が見えてきて、更にどんどん崩れ落ちてもっと内部の敏感な部分まで全てがさらけ出されてゆく感覚。肉片/瓦礫が脆く崩れ落ち、最後には跡形もなく消えてしまう。結果、それはその後彼自身に起こる運命を映し出したものだったのかもしれない。フィギュア8。まわる輪の上を生きる僕たち。これは「このあと」が無い音楽だった。だがしかし、だからこそなのか、こんな独特の美しさを湛えた音楽は聴いたことがなかった。 残酷なもので、もしかすると「表現」とは最終的にはこういうものであるべきなのかもしれない。その内容を「誰かに伝える」とか「伝わる」とかは実は一義的には完全にどうでもいいことであって、それ以前に本人の意図するところとは別に、作り手の生き様を引き出してしまうような、否が応でも本人の中のなにかを喰い、血しぶきを撒き散らして産み落とされるものであるかどうかこそが、大事なのではないかと。表現の一端である音楽に置いても、極限まで突き詰めた場合、常にそういう側面が必要とされるものであるべきなのかもしれない。生んだものにすら牙を剥くもの。あらゆる意味で”痛み”を伴わない音楽が多い。だけどその文脈が行き過ぎてしまうと、音楽は「音/楽」でなくていいことになってしまうので難しい所だと思うのも常なんだけど(真剣なメッセージがいつもシリアスとは限らないはずなのに)。大雑把に言って、音楽が商品化されて出回るその恩恵は我々ユーザーにとっては計り知れない。つうか、そこ切ってしまうと僕らが世界の音楽に触れる機会は相当限定される。だからもちろん、全然否定はしない。でもたまにはこういうのがあっていいと思う。そしてここまでパーソナルな音楽を「商品化」することを認める態度、そういう感覚もそろそろあっていいと思う。ただ、みんなもっと感覚を”両方”(それは左右でもあり上下でも前後でもあるかもしれない)に揺さぶりながら音楽を聴いてみたらいいのに、と思うことがあるだけ。 キャント・メイク・ア・サウンド!どんな音も立てるな、本物のエモーションを込めたもの以外・・・!僕にとってエリオット・スミスは「音楽の商品化」なんて古くさい議論にすら今だ思いをはせざるを得ない唯一人の存在だったりもした、という昔話。R.I.P.(2006年11月)
*2009年一部加筆